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寺田屋は焼失。刀傷は偽物なのか。

寺田屋は焼失。刀傷は偽物なのか。

寺田屋について

寺田屋は、伏見区にあるかつての船宿です。
現在は船宿ではないのですが、宿泊する事は出来ます。

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そんな寺田屋に、偽物説があるのをご存知でしょうか。

まずその前に、現在でも幕末ファンに人気が高い寺田屋の理由についてです。
その理由は、坂本龍馬にあると思います。

坂本龍馬は、幕末の頃に活躍した志士です。
幕末に登場する人物の中で、新選組の隊士と並んで人気が高い人物です。

小説や映画、漫画の主人公になっています。
司馬遼太郎著の「竜馬がゆく」は、知っている人も多いのではないでしょうか。

その坂本龍馬が、京の逗留先が寺田屋でした。
そして、その寺田屋で事件が起こります。

伏見奉行による坂本龍馬への襲撃。
寺田屋事件です。

この襲撃で、龍馬は負傷しました。
しかし、捕縛や暗殺される事は無く、難を逃れます。

現代でも人気がある坂本龍馬。
寺田屋は、その龍馬ゆかりの宿なのです。

このため、現代でも多くの方が、龍馬ゆかりの寺田屋に訪れます。


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寺田屋は焼失。

そんな寺田屋ですが、偽物という話を耳にしました。

龍馬が泊まっていた寺田屋は、鳥羽伏見の戦いで焼失。
現在の寺田屋は、その後に再建された建物。

つまりレプリカなのではないかと噂です。
調べてみると、寺田屋は、確かに1度焼失していました。

寺田屋焼失について、次の様な資料が存在しています。

1.鳥羽伏見の戦い当時の瓦版

鳥羽伏見の戦火範囲を、当時の瓦版が伝えています。
その戦火の範囲に、寺田屋も含まれていました。

2.寺田屋の隣に建つ石碑に刻まれた「寺田屋遺址」

寺田屋の隣には、「薩藩九烈士遺蹟表」の石碑が建っています。
この石碑は、明治27年(1894)に建てられた石碑です。

石碑には、「寺田屋遺址」という文が書かれてます。
遺址とは、 「昔、建物や城などの建っていたあと」という意味です。

「寺田屋遺址」=「寺田屋が昔建っていたあと」。
石碑が建てられた時には、寺田屋は焼失していたという事になります。

京都市の調査でも、寺田屋は再建されたものという結論に達しました。

それでは、現在寺田屋についた刀傷や銃痕は、偽物なのでしょうか?
鳥羽伏見の戦いで焼失した後に再建されたのであれば、偽物なのでしょう。

しかし、寺田屋側はあくまで市の見解と反論はしていました。
個人的には、再建されたものなんだろうなと思います。

ただ、再建された寺田屋でも、当時の雰囲気は伝わってきます。
本物、偽物にこだわらな方は、1度訪れてみてはいかがでしょうか。

寺田屋は見学可能です。
坂本龍馬の面影を、見る事が出来るかもしれませんよ。

寺田屋へのアクセス方法

寺田屋へのアクセス方法。
最寄駅から徒歩8分。

最寄駅:京阪「中書島駅」。

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(最寄駅からの地図)